なすぴという惑星

でっかい愛とか希望探してる

嵐推しが 推し、燃ゆ を読んだ。

※二宮くんの結婚について触れています。また「推し、燃ゆ」の内容にも少し触れていますのでご注意ください。

 

推しが燃えた。

その一文から始まる「推し、燃ゆ」をやっと読んだ。

読んでいる最中、私も推しが燃えた時のことを何回か思い浮かべた。嵐を推してもう14年目になる。少なくとも、私がみていた14年間、5人は誠心誠意ファンに向き合っているように見えた。それでもその間に何度か推しは炎上した。

 

この話を読んで、1番最初に思い浮かんだのは二宮くんの言葉だった。

 

「ファンの人たちの働く目的が『嵐の物を買うため』になっちゃいけないって僕らは思ってるんです。モチベーションになるのはいいけど、主たる目的になっちゃいけない気がする。自分で稼いだお金はその人自身に投資するべきで。 それより『嵐』はひとりひとりの生活のサイクルの一部になればいいと思ってます。」

 

主人公のあかりは推しのために生きていた。推しがいない人生を余生とまで言った。あかりの推しが悪いとかいうことではなく、推し側からこんな風に言ってもらえる私たちは恵まれているんだなと単純に思った。自分の足で自立して生きることを教えてくれる推しは珍しいのだろうか。

 

そんな二宮くんも炎上した。二宮くんが結婚を発表した時、あの時のことは忘れられない。昨日まで二宮くん大好き‼︎とツイートしていた人たちが、大好きだった人に罵詈雑言を浴びせている様子を見るのはとても辛かった。豊富な語彙で愛を綴っていた人たちが、何も言葉を紡げずにいることが苦しかった。そしてなによりも、大好きな人に言葉の矢が集中砲火している様子を見て絶望に似た何かを感じた。こうなることは二宮くんだってわかっていたはずだ。それでもやっぱり悲しかった。一般の人だったらおめでたいと祝われる日に、アイドルであるがために誹謗中傷を浴びせられている。それも、二宮くんがあれほどまでに拘っていた"アイドル"であるがためにこの結果になることがすごくすごく辛かった。

 

それからの二宮くんは、結婚発表のときの「今日からも変わらず、そして来年以降も頑張っていく」の言葉通り、パフォーマンスもより一層素晴らしかった。結婚について触れたのは個人のラジオの数分だけだったけれど、言葉よりもパフォーマンスで誠意を示しているように見えた。そしてそれが二宮くんらしいと思った。

 

あかりにとって推しは背骨だった。自分の形を成すために、生きるために必要なものだった。私にとって嵐はなんだろうか。あえて言うなら肉であろうか。あかりと同じようで全然違う。同じく推しは私を形成しているけれど、推しがいなくても別のものを食べながら肉をつけてなんとか生きて行ける。そうさせてくれたのはやっぱり二宮くんのあの言葉があってこそなんだと思う。そんな二宮くんが燃えた時、私は彼の味方でありたいなと強く思った。これをオタク界では"お花畑"と言うのかもしれないが。

 

あかりの推しは炎上したあとに引退をした。

二宮くんは今も表舞台に立っている。あの出来事から一年以上経った今も、誹謗中傷は止んではいない。それでも二宮くんは立ち続けてくれている。

それがいかに奇跡的なことなのか改めて胸の奥底で感じる。

 

嵐を推しているから自分を肯定できたり、嵐を推している自分だから好きだと思うこともあるけれど、やっぱりあくまで嵐は私の一部に過ぎない。

あかりちゃんも推していないときの自分を受け入れられる日が来るといいな。私の推しは活動を休止して2ヶ月が経つけれど、私は何とか生きているよ。推しごと以外にも、楽しいことがあることを知ったよ。推していなくても"生きている"と感じる瞬間があるよ。綿棒の背骨を拾った先に何か光が見えることを願う。

 

あかりのことが痛いほど理解できると同時に、絶対にそこに到達することはないと断言できる。そんな一冊でした。推しがいる人にはぜひ読んで欲しいな。