なすぴという惑星

でっかい愛とか希望探してる

嵐と私の成長記録 ①2007~2010

常々はてなブログを書きたいと思っていた。が、なかなか書き始めないまま数年、とうとう思い腰をあげてスマホを握りしめている。



私は嵐ファンである。いつまでファンなのかわからないし、気持ちに波もあるが、ここ最近は「ああ、きっとずっと好きだろうな」という気持ちに落ち着いてきた。この機会にこれまでと今の気持ちを記しておこうと思う。



そもそも嵐を好きになったのは小学生のときにみていた「花より男子」の影響だった。規則正しい子供だった為、毎日9時には就寝。そんな私が唯一夜更かししてみていた番組だった。当時は花沢類派だったのだが、そこで「松本潤」という人物がいることを初めて認識した。そのときはかっこいいなぁくらいにしか思わなかった。そして間もなく、私の人生を大きく変える「嵐」に出会うことになる。それは何気なくみていたテレビだった。(確かにスカパー無料に踊らされてテレビにかじりついてみていたとき)突然love so sweetのPVが流れた。「花男の主題歌!!え!?道明寺!!笑顔で踊ってる!?」
そしてここで初めて見た櫻井翔に衝撃を受けた。



「こんな完璧な顔面持った人この世にいたの!?!?!?!?」



一瞬で堕ちた。


私が櫻井担になった瞬間だった。



ここから私のオタク人生が始まるわけだが、完全に堕ちたら終わりだと悟っていた私は幼いながらいろいろと制限していた。(きっと今よりも大人だった)


まず、絶対にお金はかけないと決めた。小学生の私にCDやDVDを買うのは高すぎたし、一回買ってしまったら買い続けてしまうとわかっていた。当時は水泳一筋であり、お年玉や誕生日プレゼントはすべて水着に消えていたしそれで満足していた。しかしその水泳がのちのち私を嵐沼におとす大きな要因になる。一つは仲の良い水泳仲間が熱烈嵐ファンだったことだ。彼女は遠征のバスで隣の席になる度に私に嵐の曲を聴かせてくれたし、練習前には振り付けを教えてくれた。今考えれば友達を沼に引きずり込む典型的な手口だと思う。しかし純粋だった私は嵐について知れば知るほど愛着がわいてきた。テレビに出ると聞けばちゃんと視聴したし、常に最新の嵐情報を入手していた。小学高学年になった頃にはもう立派なファンだった。当時嵐は10周年前後の最高にノリにのってる時期であり、それも手伝い着実に嵐沼へとはまっていった。人は辛いときには何か楽しみを作りたがる。それが私にとっては嵐だった。水泳の練習が辛ければ辛いほど嵐を思い浮かべ、なんなら背泳ぎは嵐の曲に合わせて腕を回していた。(みんな泣きながら練習していたのに私はなんて奴だ)だから嵐があの時期に連続でドラマ主演をしてくれたこと(怪物君やフリーターの時期)は私にとってすごく有り難く更に好きが増した。(ちなみに当時我が家のDVDレコーダーが壊れていた為すべてリアタイしていた。)水泳がこんな形で嵐ファンを作り上げることになるなんて河童もびっくりだろう。それでも「お金はかけない」というルールは頑なに守っていたので、かなり強火のお茶の間ファンというくくりにとどまっていた。



ここでひとつの疑問が浮かぶ。あのとき友達が勧めてくれたのが嵐じゃなかったら私は他のグループを好きになっていたのだろうか。答えはきっとイエスでありノーである。たぶん一時のマイブームにはなっていただろうがすぐに冷めていたと思う。私は嵐だからここまでハマったのだ。小学生の私にはいつもきゃっきゃ言いながら楽しそうにしている嵐の5人が眩しかった。アイドルなのにキラキラしているだけじゃなくてどこかそこらへんにいるんじゃないかと思わせてくれる。テレビで馬鹿だなあと思わせるようなことをやったかと思えば、次の日にはキレキレのダンスを踊っていたり、そのギャップが新鮮だった。それまでに好きになった芸能人は今田耕司だけだった私にはなかなか刺激が強かった。(今田耕司はいまだに好きだったりする) 今思えば取り繕わずにカッコ悪い部分もさらけ出す強さに惹かれたのかもしれない。とにかく大人なのに子どもみたいにはしゃいで、やる時はちゃんとやる嵐に私は好きという感情しか産出できなくなっていた。



ここまででまだ小学生期である。ひとつの記事ですべて書こうと思ったのだがここからが更に長い。よって3つほどに分けることにした。

次回「中学生期~大切な出会いと更に深まる嵐沼」
乞うご期待。(題名は9割方変わります。)